「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る⑥ 宇宙戦艦ヤマト復活編公開

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今回の記事は「宇宙戦艦ヤマト」企画時の方々の証言が多く書かれている『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男・西崎義展の狂気』(牧村康夫・山田哲久共著)、『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』(豊田有恒著)を参考にしています。

(「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る⑤ 西崎彰司氏の登場からの続き)

かくして西崎氏は松本零士氏との著作権裁判に勝訴するものの、2003年2月、銃砲刀剣類所持等取締法・覚せい剤取締法・火薬類取締法・関税法違反事件の一審判決である懲役5年6月の実刑判決が確定し、収監されることとなります。

収監直前の2003年7月、松本零士氏からの和解申し出を受け、西崎氏と松本零士氏は著作者人格権について和解することなります。

そして、収監後2004年、西崎氏と東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルの間の控訴審で和解が成立し、裁判所により和解調書が作成され、3社は「西崎義展が『宇宙戦艦ヤマト』の著作者である旨を公表しても反意を唱えない」ことを確認して了承しました。

この結果、東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルの3社が「復活編」に出資をする下地が出来、2004年宇宙戦艦ヤマト 復活編」の製作が養子である株式会社エナジオ社長の西崎彰司より発表されました。

2006年12月19日、刑期を終えて出所した西崎氏は養子となった西崎彰司氏らの出迎えで早速スーツ等を新調し、勾留、収監中に大きく変化したAV機器や家電商品を入手し、持病の腰痛の手術をするなど保護観察期間に復活編の準備に入ります。

2008年7月31日、西崎氏が収監中の2004年に西崎彰司氏が制作発表するものの、制作が実現していなかった「宇宙戦艦ヤマト・復活編」の制作発表が正式にされ、西崎義展氏は白土武氏等の旧知のヤマト制作スタッフを揃え、制作体制に入ると瞬く間に西崎流が復活し、西崎氏の独断専行で物事が進められ、今作においてはプロデューサー業に留まらず監督業も兼ね、往年のパワーで現場を取り仕切りました。

現場を取り仕切る西崎義展氏に対して西崎彰司氏は復活編制作の為の資金の調達や交渉が主な仕事でしたが、それだけにとどまらず、父・西崎義展氏への全面的なケアが非常に重要な役割でした。仕事面はもちろんのこと、生活面でのケアもするため家では彰司の奥さまによる手料理が西崎氏のために用意されていました。

2009年12月12日、ついに「宇宙戦艦ヤマト・復活編」が公開されます。しかし、上映後の「復活編」の成績は奮わず、興行収入は5億円を下回り、配給収入も2億円前後となり、観客動員数でのその年のベスト10に入ることは出来ませんでした。

残念ながら「復活編」はヒットしませんでしたが、同時に進行していた実写「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の原作料として個人で2億円(一説では3億円)を手にしていた西崎氏は新たに購入した全長約46メートル、全幅約10メートルの船「YAMATO」で2010年11月6日小笠原にダイビングの為に入港します。そして、翌日7日、ダイビングをするために船上から海中へ移動する際、クレーンから落下という不慮の事故で西崎氏はお亡くなりになってしまいます。

西崎氏が亡くなった後、養子である西崎彰司氏がヤマトの権利を引き継ぐ形になり、2012年「宇宙戦艦ヤマト復活編 ディレクターズカット版」が制作され、また、2013年にTV放映された「宇宙戦艦ヤマト2199」は大ヒットとなりました。

松本零士先生がお亡くなりになった後のヤマト公式の対応の違和感から『「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題を振り返る』と題して6回に渡って記事にしましたが、西崎義展氏から現在「宇宙戦艦ヤマト」の権利を引き継いでいる西崎彰司氏と故松本零士先生の間には、二〇年前全くアニメ門外漢の西崎彰司氏がビジネスチャンスの思惑で当初、松本零士氏に接近していたにも関わらず、後に西崎義展氏へ接近し結果的にはヤマトの権利を引き継いだことに対して、松本零士先生が生前中に様々な確執があったのではないかと思われます。もし、そうであっても「宇宙戦艦ヤマト」の誕生に大きく関わった松本零士先生への一言があって欲しかったと個人的には非常に残念です。

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