「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る⑤ 西崎彰司氏の登場

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今回の記事は「宇宙戦艦ヤマト」企画時の方々の証言が多く書かれている『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男・西崎義展の狂気』(牧村康夫・山田哲久共著)、『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』(豊田有恒著)を参考にしています。

(「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る④からの続き)

「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る④の記事の通り、2002年に判決された裁判の結果を受けて、松本零士氏が控訴、西崎氏が反控訴という事態になりましたが、2003年、松本零士氏と西崎氏の和解によりお互いの控訴を取り下げ、西崎氏の作成した企画書が原作とされ、西崎が著作者、著作者人格権者であることが確定しました。

しかし、「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る③の記事で書いたように、この松本零士氏と西崎氏の原作についての訴訟問題が発生する以前、奇しくも西崎氏がガサ入れを受け2度目の逮捕をされた1999年2月、1997年の西崎氏の破産後、破産管財人よりヤマトの商標権を移された東北新社の許諾によりバンダイおよびバンダイビジュアルがプレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト 遙かなる星イスカンダル』が発売されました。西崎氏とヤマトの権利について争っていた東北新社、バンダイはこのソフトでは破産をした西崎氏をもちろん前面には出さずに原作・原案・基本デザインは松本零士氏という前提で商品化をしていました。

また、西崎氏が逮捕をされたこと受けて週刊誌に取材をされた松本零士氏は(「フォーカス」1999年2月17日号)では、西崎氏の逮捕直後にも関わらず『新作の「ヤマト」と西崎氏はもともと関係無いんですよ』と「新作のヤマト」についてコメントをしています。

つまり、西崎氏の破産後ヤマトの権利は西崎氏に無いと判断している東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルによって、逮捕をされた西崎氏を抜きにして松本零士氏を前面に出した大きなビジネス、プロジェクトが松本零士氏、西崎氏の個人間のトラブルよりもずっと前に始動していたのではないかと思われます。

ここで、「クラッシャージョウ」シリーズ等で有名な高千穂遙氏のTwitterで2月27日にツイートされた「お亡くなりになった松本零士氏の思い出」についてを紹介します。

高千穂遙氏Twitter画像1
高千穂遙氏Twitterより
高千穂遙氏Twitter画像2
高千穂遙氏Twitterより

高千穂遙氏の思い出が事実であれば、松本零士氏のヤマトの原作者であるという主張の背後にはヤマトの新作を製作するための東北新社からの依頼があったと伺えます。

また、高千穂遙氏のツイートに対してのコメントには

高千穂遙氏Twitter画像3
高千穂遙氏Twitterより

高千穂遙氏は松本零士氏が語っていた内容が事実かどうかは藪の中であるが、松本零士氏から当時このような電話があったということを思い出したツイートだと説明しています。

ちなみに、西崎氏は1999年8月、バンダイ、バンダイビジュアルが製作したプレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト 遙かなる星イスカンダル』および『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の複製・譲渡・貸与の禁止および損害賠償を求めて、東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルを提訴しています。

著作者人格権の判決前の2000年1月、かつて劇男一世風靡の代表であった大戸天童氏を代表とした映像事業会社ベンチャーソフトが中心となった「新宇宙戦艦ヤマト」の製作が発表されました。この「新宇宙戦艦ヤマト」の制作は著作権問題において松本零士氏が勝訴することを大前提にしたものであり、2002年には「新宇宙戦艦ヤマト」のTV放映を開始する予定でした。

松本零士氏と元々接点の無かった大戸天童氏はヤマトはビジネスになると常々思っていた旧知の平野彰司氏から松本零士氏を紹介され、松本零士氏からヤマトの権利者であることをアピールされ、旧ヤマトの制作スタッフや東映動画の勝間田具合治氏等に声をかけ、出資を募りながら「新宇宙戦艦ヤマト」の制作に走り出したのでした。

一説では40億円の資金を集めていたこの計画は積極派の大戸氏、慎重派の平野氏の間で段々と溝が生まれ、結果的に平野氏は大戸氏のグループを離れることとなります。大戸氏のグループを離れてからの平野氏は「ヤマトの権利」は松本零士氏ではなく、西崎氏にあると判断し西崎氏と交渉するため、拘置所にいる西崎氏の窓口となっていた元オフィス・アカデミーの新田晶氏とコンタクトを取るようになります。

カラオケ事業会社永井興商の永井浩樹社長の協力を得た平野彰司氏は2001年エナジオを設立するとともに、拘置所内の西崎氏へ西崎氏が既に構想している案を基に「宇宙戦艦ヤマト・復活編」を全面的に資産をバックアップし、制作をしたいという交渉を始めます。

拘置中の西崎氏はエナジオと「宇宙戦艦ヤマト・復活編」の制作委託契約を結び、西崎氏が有罪判決後は拘置中程、家族で無ければ頻繁に面会出来ないことより、平野彰司氏、新田晶氏を西崎氏の養子縁組をするのでした。

一方、2002年のヤマトの著作者人格権の判決後、暗礁に乗り上げた「新宇宙戦艦ヤマト」の制作は2003年、松本零士氏と西崎氏の和解によって、松本零士氏は今までのヤマトシリーズに関連した新作や続編を西崎氏の許可無く制作することが出来なくなりました。つまり、2000年に発表した「新宇宙戦艦ヤマト」の制作は断念せざるを得ない状況となったのでした。
(つづく)

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